2008.09.24

名古屋です

明日はロジカルシンキング研修。

昼はテキスト作り(印刷して、製本して、発送した)、経理、その他、いろいろ。
夕刻に移動。
新幹線で村治佳織のアランフェス協奏曲を聴く。日本の景色とはあまり似合わないけれど、旅情をかき立てますね。この曲は。ビジネストリップでも……

泊まりは栄の近く。周りにはほろ酔いの方々がいっぱい。
一人では飲まない、飲めないので、あまり関係ないけど。
繁華街の活気はいいですね。

ホテルでの楽しみは、マッサージを受けること。
今日は「業師」の方だった。少々痛かったけれど、凝り固まっていた肩は楽になり、腕が上がるようになった。

さて、あと少し書き物などをして寝ますか。

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2008.07.29

ここ数日の小確幸

 小確幸=ささやかだけれど慥かな幸せ、ささやかではあるが慥かな幸せをもたらすものこと

 ここ最近の小確幸は、映画である。
 映画を観ること自体幸せなのだが、いい映画を観た時は、さらに幸せは倍増する。

 ここ3回の試写会は、いい映画ばかりで、まさに小確幸であった。

・「画家と庭師とカンパーニュ」

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 静かでエスプリの効いた佳作。
 何十年かぶりに故郷に戻ってきた画家、庭師として雇った男はかつての小学校の同級生だった。再会からはじまる友情、さまざまな紆余曲折を経て再び交わる二人の人生。フランスの片田舎の風景と相俟って、静かなでゆっくりとした映像が心に染みるのである。

・「コレラの時代の愛」

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 滔々と流れる大河のような愛の物語。
 コレラが蔓延する19世紀末、南米コロンビアを舞台にした、半世紀におよぶ愛の物語である。
 若くして出会った二人、電信局のしがない配達員の男、ロバ商人の娘、二人の愛は高まり、二人は結婚の約束をする。だが、よりよい結婚を望む娘の親に反対され、二人の仲は引き裂かれてしまう。数年後再び出会った二人、しかし娘は突然翻意してしまう。
忘れられない男は彼女のことを秘かに想い続けるのだ。そして50年後、二人の人生はまた交叉することに。
 2時間の長尺なのに、その長さを感じさせない。ユーモアと鮮明な映像が滔々とゆく人生の河の流れ、観るものを滑らかに運んでくれるのである。
 見終わった時、思わず、「あ~」と嘆息してしまったものである。

・「アクロス・ザ・ユニバース」

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 映画でしか味わえない楽しみ。
 ミュージカル映画は映画でしか楽しめない。
 映像と音楽が一体になった世界は、映画でしかなしえない空間だ。

 ビートルズの音楽だけで作られた映画、それだけで期待は高まる。
 激動の60年代を背景に、リバプールからニューヨークへ。
 ベトナム戦争と公民権運動に揺れ動くアメリカ。
 
 音楽と映像の一体感は素晴らしい。舞台でも本でも、音楽だけでも味わえない、陶然となるような空間が表出される。
 いいなあ。

 いい映画は見終わった後、いいなあとしみじみとしてくる。
 しみじみと感慨にふけっている時、それが小確幸なのだ。

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2008.05.20

物語の文法 映画の文法 フィクサー Next 僕の彼女はサイボーグ

 この数ヶ月、映画の試写会に嵌っている。もちろん、劇場でも観ている。
 映画が好きだが、なかなか時間が取れないし、子どもも小さいし、と試写会に行くのを躊躇っていた。

 最近、たまたま試写会に行き、楽しくて、爾来いろいろと試写会に応募している。
 結構当たるもので、仕事の合間を見て見に行っているのだ。

 映画の感想をブログや日記に綴っている。そうなると、他の人はどうなのかも気になる。
 他の人の感想も気になる。自分が気に入った作品であればあるほど、感動を共感したくなるのだ。

 いろいろなサイトやブログ、ミクシィのレビューを読んでいると、「オヤ?」と思う記述に出会う。
 どうも、自分の理解と様々なレビュアーの意見が食い違うのだ。その映画のそのシーンは、そういう意味ではないだろう、とかね。人によって理解や感想は違うもの、それは当然のこと。好き嫌いも様々だ。「作品を誤読する権利」を受け手は持っているし。
 それにしても、あまりに物語とはかけ離れた解釈ではないのか、と思うこともある。

――これからは映画のストーリーやラストなどを詳説する場合があります。
  まだ、ご覧になっていない方は、いわゆる「ネタバレ」であることを了解下さい。――

 例えば、「フィクサー

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 ジョージ・クルーニーの渋い演技が素晴らしい。凝ったストーリー展開が緊迫感を生んで、この春一番の傑作だと思うのだが、一般の感想では、複雑なストーリー、時間が戻る展開でわからなかった という感想が散見される。

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 これは A→B→C→D という時間に沿った流れを、
 B→C A→B→C→D と展開されているだけのことだ。
 映画の冒頭にいくつもの謎が提示される。
 Aがあって、BCといくのに、いきなりB→Cの展開では、面食らう。そこがねらい目なのだろう。

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 これは、そんなに難しいストーリーなのか?

 例えば、「Next

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 ラストが夢オチで、なんだかなあ、という感想がちらほらある。
 確かに、緊迫した状況、救えなかった世界、核爆発は起きた、と思ったら、それはただの予知夢だった。というのは、いただけないだろう、という気になるのはわかるような気がする。
 でも、それはそれまでの伏線を読み違えているだけではないか、と思うのだ。
 主人公は、たった2分先の未来が見える冴えない超能力者だ。

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 それが、運命の女性に関しては2分を超えて未来を見ることができる。
 運命の女性と結ばれることで、主人公は自己中心の未来から社会全体あるいは更なる未来を見通す力を得ることになったのだろう。
 運命の女性と出会うまでは、守るものもなく、孤独であり、自分だけの世界で生きていたのだ。
 それが、彼女との出会いで、世界を広げたのだ。

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 ということを予知夢から目覚め、FBIに積極的に協力姿が示しているではないか。

 例えば、「僕の彼女はサイボーグ

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 綾瀬はるかの演技が素晴らしい。二十歳前後の女優陣の中では、飛び抜けた存在になるのではないか。一頭地を抜くのではないかと思わせる。
 この映画は、輻輳する時間軸(次元)が、物語を豊かにし、画面に釘付けにさせる。
 が、この中で、主人公の飼っていたペットが最初イグアナだった。それが綾瀬はるかサイボーグによって鍋にされてしまう。いなくなったはずのペットが終盤には復活する。猫として。ここを不可解、ミスではないか、とする感想を読むことがある。
 う~ん、これは物語の重要な象徴なのではないかなあ。

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 最初に未来の主人公がサイボーグに託した映像の中で「変えた世界を修正しようとするだろう、彼女(サイボーグ)はそれを守ってくれる(というような意味のこと)」を言っている。
 変更された過去は、別の時間線を創り出す。しかし、多元化した宇宙には、元の宇宙に収束する力が働く、といっているのだ。
 サイボーグが現れたことで、既にひとつ加わり、過去に旅したことでまた加わり、といくつかの新しい時間線を創り出している。
 サイボーグが料理してしまったペット、既に存在しないということになっている。それなのに再び現れる、爬虫類ではなく猫ということは、既にサイボーグが爬虫類を鍋にしてしまったのとは違う時間線になっているということだろう。そして、ないものが現れるということは、ひとつの宇宙に収束しようとしてることなのではないか。
 最初の宇宙のように、主人公は若くして死すべき運命、それを全うさせようと、何かが動き出し、主人公に災難が襲いかかるとことの兆候になっていたのだ。

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 と読み解くのは、穿ちすぎだろうか。

 さて、他の人はどう思ったのだろうかね。

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2008.04.16

こどもにはわからない!?――フィクサー

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フィクサー

社会派サスペンス
全体に暗い通奏低音が流れている感じがいい。

通俗なサスペンスを期待すると裏切られる。
単純な話を期待する向きには耐えられないだろう。
大人の映画なのだ。

何しろ、主人公のジョージ・クルーニーが余り格好良くない。冴えない。うらぶれている。
離婚した前妻との間のこと、息子とのこと、と家族に問題を抱え、友達に裏切られて、借金も背負ってしまった。仕事先は巨大な弁護士事務所だけれど、やっている仕事は……
家庭も、私生活も、仕事も、八方ふさがりだ。不安でならない。もう若くはない、いろいろと分別を、大人の分別をわきまえる頃だ。
画面からは主人公の寂寞とした心象が伝わってくる。

映画の宣伝にあった「最後の10分間の駆け引きを観よ」というのは、本当。
迫力があり、最後に向けて巧みに引っ張っていく。

最後のシーンは、胸に迫るものがある。自分を裏切らなかった誇りと未来への不安が伝わってくる。

この映画に出てくる三頭の馬が印象的だ。主人公は、馬に魅せられ、近寄っていったが故に別の人生を歩むことになる。馬はある種の象徴なのだろう。軍や力強い、等を表しているのだろう。さらに、軍馬の意味があったのかもしれない。旧約聖書に出てくる神の軍馬を示しているのかな。

伏線や象徴が至る所に張り巡らされ、目を見開いてみていないと面白さが半減するかも。

それにしてもだ、ジョージ・クルーニーの演技は渋かった。

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2008.01.15

映画「アース」

 一家で観てきました。「アース
 近くのシネコンは「シネコンの日」で大人は千円、子どもは五百円、一家で三千円とお得だったし。

 娘は映画デビュー再挑戦、昨年「オープンシーズン」を途中退席して、挫折して依頼の挑戦だ。
 毎日のように「アニマルプラネット」や「ナショナルジオグラフィックチャンネル」「ディスカバリーチャンネル」を観ているから、ドキュメンタリーものは慣れているのだ。

 映像は素晴らしかった。
 地球の季節の移り変わりが鮮やかに描かれ、自然の雄大さを大画面で体感できた。
 でも、その自然のドキュメンタリー番組好き一家としては、少々物足りない。
 北極から南極まで地球を巡るので、少々駆け足なのはいたしかない、だから一つ一つの事象の掘り下げが浅いように思えてしまうのだ。
 南極ではペンギンが出てきた。かわいらしい、でもその姿だけではなあ。温暖化でそれまでの産卵、子育ての場所が失われつつあることにも触れて欲しかったし、と欲を言えばきりがない。

 ただ、一家揃ってみるにはいい映画だった。
 息子は「爬虫類が出てこなかったのが残念」と嘆き、娘は最後まで観ることができたのか、「怖かった……」としか言わないけれど。

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2006.09.07

ギャングエイジとの抗争と岸本さん

 朝から息子はご機嫌斜め。

 何を言っても、「いいもん」「やらない」「しらない」
 の反抗盛り。

 娘を保育園に送っていって帰ってきたら、息子は「学校に行かない!!!!!」と大泣き中。
 やれやれ。

 なだめすかし、だまして自転車に乗せたまではいいのだけれど、学校の門のところまで来ても降りない。
 無理矢理降ろして、抱え上げても大暴れ、私の眼鏡はどこかにふっとんでしまうは、自転車は倒れそうに鳴和で、一騒動。

 ちょっと降ろすと校門を出て「学校には行かない!!!!!!!!!!」と叫ぶばかり。

 ここで根負けをして「行かなくていいよ」としてしまっては不登校のはじまりだ。
 正面突破作戦を変更、少し歩いて裏門から送り込む作戦に。

 「おばあちゃんのうちに行こうか」と適当なことを言いつつ、なだめすかして少し裏門の方へ歩き出す。すると、担任の先生が来てくれた。
 申し訳ないことにこの時はじめてお会いした。
 正門での悶着を他の先生が教えてくれたのだ。ありがたい。

 いろいろとなだめすかすが、彼は登校すること頑なに拒否、こちらも彼がこのまま帰るのを拒否。膠着状態になる。
 そのまま裏門へ。

 入りたがらない息子、先生にランドセルを渡し、裏門にとにかく押し込む。
 それでも出ようとする息子、門を開かないように足で押さえる先生(ベテランの女性だ)、そのまま息子を置き去りにして帰ってきた。

 いやはや、一日のエネルギーの95%くらいを消費した。
 
 このギャングエイジは何年続くのか……。

 疲れ果てた身体に鞭打って仕事をする。
 事務と研修の準備だ。

 午後からは岸本葉子さんの講演を聴きに行く予定。
 しかし、少しくじけそうになる。疲れ果ててしまったから。

 それでも気力を振り絞って日比谷へ向かう。
 妻と一緒に会場へ。
 場内に入るロビーのところで岸本さんを見かける。
 挨拶をすると岸本さんが会釈を返してくれる。
 年に一度くらい講演会でお会いするだけ(サイン会があればすかさずサインをもらったり、写真を撮ったりはするけど、ミーハーなのよ)なのに、覚えていてくれたのだ(と思う)。うれしい。
 ますます岸本さんのファンになってしまう。

 がんと共に生きる、というセミナーの一つとして岸本さんの講演がある。
 今のところ(検診を受けていないだけだが)この病気とは関係ないのだけれど、身内ではガンで亡くなった人もいるし、日本人の二人に一人がかかる病気なのだ。
 もし、というときの心構えとして、先達の話を聴いておいて損はない。
 が、折角の岸本さんの話も、朝からの疲れから少し気を失ってしまったところがある。残念である。

 岸本さんの講演が終わり、他の人の講演とパネルディスカッションはパスして、有楽町の無印を少しだけ覗く。
 
 帰ったら、息子も帰宅していた。
 朝のことをガミガミ言わず、これからのことを話し合おう、と妻とは了解済み。
 息子も下の娘に親を取られたような気がしているのかも知れない。な、ということで親子で風呂に入り、裸の付き合いをする。
 
 学校に行ってみると、楽しかった、というので一安心。これなら大丈夫だろう。

 話し合いが功を奏したのか、裸の付き合いがよかったのか、息子は久しぶりに勉強を(ほんのわずかだが)自ら取り組んだ。よしよし。
 
 教育には時間がかかるもの(いろいろな意味で)とわかっているのに、我が子になると短期間で結果を求めたくなってしまう。困ったものだ。

 ああ、とにかく明日も機嫌よく過ごせますように……。

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2005.12.04

ささやかだけど嬉しいこと

 長い出張から帰ってきたら、漢検の結果通知が来ていた。

 少し恐れをいただきつつ開封、ってもう開いているじゃない。

 とにかく中身を出してみると、
「合格、おめでとうございます。」

 ほう、やったあ。
 漢検3級合格です。

 ゲシュタルト崩壊を起こしつつ、何とか合格しましたよ。

 よし、次は2級だ。

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2005.12.01

挨拶はむずかしい

 過日、友人の結婚式に出席してきた。
 式は独創的で、何より新婦新郎ともにこやかで、晴れやかな姿に、喜びがあふれていた。
 参列したものにもその幸せが伝わってくる、いい式だった。
 続く披露宴も、参加者への思いのあふれる宴であった。

 で、その席でスピーチをすることになった。
 普段プレゼンテーションの研修をし、毎日はじめてあう人々の前で話をしている。
 だから、スピーチは得意かというと、そうでもない。
 プレゼンテーションとスピーチは似て非なるものなのだ。

 スピーチとプレゼンテーションの違いは、

 スピーチとは、聞き手に「楽しみを与える」ことを主目的としている。

 それに対してプレゼンテーションは、「相手の行動変容」を求める、ということである。

 スピーチは、楽しく、心に残る何かがなくてはならない。しかも、相手の行動の変容を求めなくてもいいのだ。
 ビジネスプレゼンテーションに比べれば、「説得」する要素が薄い分、気楽と言えば気楽なのだが、楽しく、心に残る、というのが難しい。

 プレゼンテーションは、説得する、自分の主張を間違いなく、相手に届け、相手の意志をこちらの意図するように誘導することを目的としている。だから、記憶に残すことを目的としても、楽しさは重要な要素ではない。

 まあ、だから、いろいろと悩みましたね。
 何を話すのか、少し楽しくなくてはならず、それには自分のことも少し話したらいいのかもしれないし、でもやっぱりプレゼンテーション講師らしく、ナンバリング、ラベリングした方がいいのかな、などなど。

 で、話したのは、以下のようなもの。
 原稿は作ったけど、実際のところは幾分変わっている。

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結婚おめでとう、○○君、△△さん。

また、○○家、△△家の皆様、誠におめでとうございます。
本日は、このような盛大な宴にお招き頂き、厚く御礼を申しあげます。
○○君とは、云々

さて、お二人はココまで結婚式の準備をしたり、するのは楽しいことだったと思います。

二人の門出に、少し結婚生活の先輩として、結婚生活を楽しむコツを二つだけ、お話します。

一つは、9割やって半分と思うこと、
二つ目は隣にいてくれてありがとうと感謝する、
この二つを肝に銘じれば、楽しくやっていけます。

 夫婦はお互い、9割やって半分くらいと思われる、と思うことです。
 生活をともにしていけば、家事やそして育児もしなくてはなりません。
 家事や育児は自分が9割くらいやっているなあ、と思っても、相手には半分くらいしかやってない、と思うものです。
 例えば、晩ご飯、自分は食べたものを片付けたら、家事を半分はしたと思うものです。
 しかし、奥さんはは献立を考え、材料を買い、料理をして、用意して、給仕して、と9割はやっているのです。
 自分のことは多めに、相手は少なめに見るもの。自分は9割もやってちょうど半分くらいと思うと、お互い半々にります。

 でも、時に衝突することもあります。
 自分は9割で、相手は1割しかしてないじゃないか、なんて思ってしまうと、喧嘩になります。1割でもやってくれたんですから。
 一人の時はすべてをしなければいけなかったのに、相手がいるから9割しかしなくていいんです。ありがたいじゃないですか。
 隣にいてくれて、ありがとう、と思えば心も和みます。

 二人でいれば、喜びは2倍に、悲しみは半分に、そして、楽しみは3倍になります。
 これから二人で楽しく、お幸せに。

 これをもちまして、私のお祝いの言葉とさせていただきます。
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 と、まあ、挨拶はむずかしいのである。

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2004.05.26

岸本さんの講演会に行ってきました。

 5月22日、午前中、東京メトロウォークに参加する。湯島、上野、本郷近辺を歩くこと2時間半、上野の燕湯に入って汗を流してから池袋に向かう。
 会場に入った時には、もう主催者からの説明が始まっていた。やや、申し訳ないと思いつつ後ろの席へ。う~む、前の人に遮られ、岸本さんが見えないよ~~。
 演題は「季節を感じるスローな暮らし」。外に目が向いていた二十代後半から三十代、身近なものへ視点が移ってきた今の頃、と季節を取り入れた生活を楽しむ、ということ。
 涼やかな声で、楽しい語りだった。
 講演の後は、著書へのサイン会があり、妻と二人でサインをしてもらう。何度か講演会でお会いしているので、「あら、いつもありがとうございます」という感じで、我々のことを何となく覚えていてくれた。うれしい。今回は名前も入れてもらった。さらに、最後まで残って、記念撮影もお願いする。いつもの方々なので、と気軽に応じてくれた。次の予定があるにもかかわらず、気さくに応じてくれる心やすさがまたうれしい。
 その後、ドルフィンホテルの仲間とイルムス2階の喫茶店でお茶をする。次は、岸本さんも行った中華バイキングでオフ会だあ~~、と盛り上がる。
 我が家では早速帰りに西武のザ・ガーデンで「山ウド」を買い、夕食に食した。これがなかなか美味でした。季節を感じる暮らしを所望しつつ、眠りについたのである。

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